推理小説の扉(2) | BLOG MYSTERY NOVELS

推理小説の扉(2)


 昨日、語った難しさの問題。例えば私が自分では破たんのしていない推理小説を完成させるとします。でもそれは自分の目から見た完成です。が、見る人が見れば穴がある。
 でも自分にはその穴は透明で見えない。しかし、書く度に、その穴の大きさも減少していき、小粒な穴に抑えることが出来るようになりました。しかし、ここまで来るのにどれだけの時間がかかったかと思うと。その年月の側から私は、推理小説の難しさを思うのであります。

 さらに、読書量も重要な要素で。プロ。しかもその中でも上手い人の作品は、読み物としても良質であるし。トリックに定評のある方の作品を読めば、必ず感心させられます。
 と、ここに、オリジナリティと、技術、そして質という問題が浮上。
 自作と比べてどうでしょうか。
 オリジナリティ。技術。共に質に差があります。となると、その差がプロとアマの差。そして、賞に輝く受賞作にせよ、プロに近い質を備えているわけですから。
 自分との間にある差はやはりあります。
 
 さらに本は次々と出版されます。50冊しか読んでいない人の考える(トリックを含む)ストーリーと、100冊、200冊読んだ人の考える内容にも差があると思います。

 そして、新しい作品には時代や旬が込められている。
 こうなると、その読書レースに乗れないと、勝負は大変。

 でも克服する方法が一つだけあります。それは文才。
 初めからトリックは無視。文才だけで勝負。
 そうなると、ジャンルは、日常推理ものとなりますが、しかし、この場合の勝負は又、ある意味で大変厳しいので、やはり推理小説を書くことは難しい。

 長々と語ってきましたが。
 これら、とても大変な商売を、地元にて交流のある石井敏弘師匠と、若輩者であるにも関わらず、私を見出し、こうして舞台へと挙げてくださっている司凍季先生は、もう十数年やられています。

 それはそれは、頭を使ってきたことかと思われます。

 しかし現在。石井師匠の方は、ご自身の温められておられる歴史ミステリの方。何年かかってでも完成させてみると、日々の資料研究。取材等。足と頭を使い一作に長い時間をかけて取り組んでおられますが。

 一方の司先生。
 女史の作品は、まさに、私が上記してきた不可思議な謎を論理的な手法で解くミステリの専門家であります。
 ミステリが好きでも、司先生の作品は未読と言われる方。
 あるいは、これからミステリを書いてみようと思われる方。
 是非、お手にとって、読んでみて下さい!
 満足のいく読後感が、必ず得られると思いますよ!

 特に、現代のミステリ漫画ブームと符合して、内容が、本格的な謎解きのお話ですから!
 そして、頗る面白い!
 今。図書館や、中古本屋に押されて、作家は苦しい立場に追い込まれています。
 本が買われない状況は、この先、どんどん物書きを追いこんでいき、作家自身のモチベーション。良作を書こうという意気込みの方にも、暗い影を落としかねない。経済面。メンタル面双方に響いてくるのではないかと、私は予感しています。

 いえ。それ以前に、面白い本は、やっぱり、人に薦めたいと、おせっかいものの私は、つい口にしてしまいます。

 もちろん、面白い作品に限ってです。ですから、この映像メディア主流の時代にあっては、読まれるべき作品が読まれていないのではとでさえ、危惧しています。

 過去書かれた作品にも、未だ真似のされていない良作が、山の数ほど眠っています。
 そう、お宝が!

 そこで、私が司先生の作品でオススメしたい本を一冊。挙げてみることにします。(未読作が多いので、どれだけのオススメ度とは述べられませんが)

 私のオススメの作品は「蛇遣い座の殺人」です。

 推理小説のお手本が、秘められた、印象深い作品です!