薫葉豊輝の推理小説論1
ブログを初めたこの機に、私自身の推理小説論をまとめたいと思いました。よろしければ皆さんも、お付き合いください!
推理小説は1841年4月に米人作家エドガー・アラン・ポーが発表した「モルグ街の殺人」が起源とされますが、それから163年。繁栄と衰退を繰り返し。知的読み物という定位置を今日では築き上げているような気がしています。
では、それまでに書かれた文学。あるいは怪奇小説と、ポーの持つ視点。その違いは何なのでしょう?
それは「論理に基づいた検証によって明らかにされる謎解き」
その一点に集約されるのではないかと、思います。
と、ここでポー論や、ミステリ史を長々と語ろうと言うわけではありませんので、皆さん、ご安心ください。
では、何を述べようとしているのかと言いますと。
それは、推理小説の持つ構造と、視点について、手短にお話したいと思っています。
推理小説の構造。
それは、(秩序ある世界ということを前提とした)器(世界・舞台)の上に、まず謎を載せます。
すると世界のバランスは壊れ。条理を不条理が覆い、器の上の料理は乱れに乱れます。
そう、美の崩壊です。
では、それをそのまま活字化する手もあります。それはそれで面白い。
不条理なら不条理だけで書き切る幻想小説という分野(古くは安部公房著「砂の女」などもそういう部類に入るでしょう)。
もちろん、それを書くためには、相当の筆力が問われますが、不条理系小説も価値の高い作品だと私は思っています。
が、今語っている分野は、推理小説。
そうです、推理小説において、着地点無き物語はストーリー、論理性の破たんとされる約束事があり、その線から考えますと、これではいかんと言うこととなるのです。
ただし、例外もあります。
メタ・ミステリ(あるいはSFミステリ)という分野がそれに当たり。メタ・ミステリにおいて、不条理な世界を残しておくことは、その分野を成り立たせる重要な要素でありますから、それは分野として許される決まりも、暗黙のうちに生じています。
しかし、メタ・ミステリは、土台として世界は異端であっても、あるいは非現実的であっても、その世界で起こる事件の方は比較的、論理的な謎解きが書かれている作品が多いので、一概に型に嵌める事はできません。
つまり、論理的である部分と、論理的でなくともよい部分(論理的でなくともよい部分とは主に、世界、あるいは舞台の土台、特殊能力等)とで成り立つ(SF・ファンタジーとミステリとの)混合分野。
そう言い得るのではないかと私は思っています。
さて、美の崩壊した器。
その無秩序となってしまった混沌世界を見る(読者としての私たち)の心に、ある欲求が生じてくるように私には思えます。
……!
明日に続く。