待望の! | BLOG MYSTERY NOVELS

待望の!

6月9日(木)赤口・乙未・八白・除・井・軫・月が赤道通過、南半球へ・上弦
6月10日(金)先勝・丙申・九紫・満・鬼・角・時の記念日・近江神宮漏刻祭・くじら座W星が極大・こと座W星が極大・土星がおとめ座γ星ポリマに最接近



 以前、小説を書いていたのですが、長い長い月日を経て、小さな賞をいただけました。

 その際に、出版のお話しがあったのですが、いいところで話が流れ。

 小説での出版は、賞を受賞しても難しいと、その時に悟りました。

 同時にどうも小説は、何でも取り入れなければならない分、魔的なものまでを呼び込み、人間の感覚を麻痺させて、おかしくさせてしまうアートだと痛感。

 これは、カンを磨き、占いの腕を上げるという目標と相反するのと、やはり縁起の悪いことを書くと(小説はそれを書かねば成り立ちませんから)、人間の感覚がおかしくなり、頭に乱れが生じてくることを感じ(やはり祓いの鈴を鳴らすと、スーッとするでしょう、即ちその逆ですね)、占いのレベルを上げること、いえ、占い道を極めることの邪魔になる小説は、(魔を斬る)名刀にて、切り捨てることにしました。(また芽が出るかもしれませんが)

 しかし、人間を描くのは難しいですよ。
 
 例えば(朝ドラ)「だんだん」でこんな台詞がありました。

 「違う。違うぞ石橋、医者は患者の死を待つんやない。
 最後の息を見届けるまで、医者は患者と一緒に生き切るんや。
 生き切った人生を見つめるんや。
 人の人生は皆、違う。一人の人の生きざまを宝物のように見つめるのがお前の仕事や。
 それが大病院にはできへん、この島の医療行為や」(島=島根県 知夫里島 )
 「先生」
 「わしは、ここに来て何人もの人生を看取ってきた。どれだけ人生を教わったか。その度にわしは涙を流した。一人の人生と深く関わるからこそ出る涙や。わかるか、石橋」


 この台詞が凄いのは、書き手が、本当に、田舎の医者そのものになりきって、その現場の人間、そして経験を積んだ魂そのものとなって書いているところでしょう。


 もうこれは紙の上の言葉の質を超えています。
 レベルの高い台詞は、現場の気や、生とテクニック。これがかみ合わないと出来ないので、この台詞は名シーンでした。
 「おひさま」も面白くなってきましたが、言葉の凝縮さが、「だんだん」ほどではないのは観ている人はわかるでしょうし、多くの脚本家も、戦前の設定で、言葉が軽く薄っぺら過ぎる、自分ならさらに素晴らしいものが書ける。
 (朝ドラという大舞台から声がかからないその)運が無いだけと思っている方も多いと思います。

 「てっぱん」も隙がない台詞が多かったですし、「おひさま」は、最近はよくなってきましたが、どうしても(これまでの朝ドラと比べて)物足りないと思われている方は多いと思います。

 「瞳」で、養護施設を瞳が訪ねるシーン。

 このシーンの凝縮さ。私は未だに忘れられません。

 おそらく相当の施設の本や取材で、珠玉の言葉を集めて、それを一話に盛り込んでいたので、そこに登場する施設の職員の言葉の濃度が高すぎて、待てよ、これはやりすぎて、職員がいつもこんなことばかり言わないのではと、人間を描くことを極端にし過ぎて、セーブすべきではと私は思いました。

 「ちゅらさん」も「おひさま」も、もっと言葉が欲しいわけです。
 瞳のあのシーンは反対にやりすぎでした。

 もちろん「おひさま」は、戦中のエピソードを盛りだくさんに入れて構成されているので資料面は凄いです。

 「てっぱん」では現代の十代があれだけ苦労している人生が描かれる半面、「おひさま」の陽子は、幸せ過ぎますよね。

 リアルな物語を描くことは本当に難しいことだと思います。

 私は、ファースト・ガンダム(「機動戦士ガンダム」)が映画化された時に、映画に合わせて発売された「ガンダム記録全集」でしたか、そこに書かれていた(原作者)富野由悠季監督の言葉が未だに忘れられません。

 「巨人の星は、天才的な作品だった」

 その言葉を観た時に、私は衝撃的過ぎて、倒れそうになりました。

 新しい時代に、先駆者的なことをやって時代の寵児になった富野由悠季という哲学的芸術家が、どうして、古くなって、自らが過去のものにしてしまっているような作品を、天才的と言うのか?

 その言葉の秘密が知りたくて、「巨人の星」を読もうとしましたが、漫画では面白みがわからず。

 やはりアニメでしか。

 最近、ある方のサイトで、こういう一文を見つけ、なるほどと、感心させられました。(オウマーさん)


「手塚治虫が「記録に残る」漫画家であっても「記憶に残る」漫画家でない理由って、あの漫画はテレビ放送を前提にしてなかったからじゃないかって。
そして、手塚も「テレビ」と「紙」との違いが理解できなかったんじゃないかと。
逆に言えば、巨人の星が「みんなが知ってる」名作になったのは、テレビの「巨人の星」があったから。

花形が大リーグボール1号を打ったあのシーンには、必ず「パパパーン....」のラッパ音が重なる。
あれがカッコイイんだよ。今見ると、バットから何故か土煙が上がってるね。でもあれがしびれるんだね」


 この方の言いたいことと富野監督の主張は一致してはいないでしょうが、富野監督が成功できたのは、ただの宇宙や、メカ好きではなく、本当に人間を見つめられたからかもしれません。

 最近の小説は、未熟な自己、自意識を過剰にさせていく方向性が加速していますが、それはやはり魔的な方向に行くのは当然。

 そういうわけで私は、小説を書く欲求は、朝ドラで満たそうという考えに変えていきました。

 さて、今の時代、物語があふれています。
 これだけ本が多い時代、小説を読もうという欲求があるなら、それは新聞などの書評で取り上げられたり、信頼できる書き手の作品、そして新人賞受賞者の作品に集中するのは当然です。

 書くために書く、作ることのつまらなさ。
 それに気付いた方は、どんどん小説を書くことから離れ、実際の社会で何か表現をされていることでしょう。

 これから書きたい方以外は。

 ですから、今の時代は、小説は、なかなか出版に繋がらず、お金にもならないと、大勢の方が気付き始めて、それはよい傾向だと思います。

 やはり書く前に何が面白いか、自分が書き手ではなく、時代の需要として、一読者としてどんなものが読みたいか。

 それを感触から始めるとテーマが見えてくるはずですよね。

 今は放射能なり景気なり。

 時代に呼ばれる読み物。

 それはいつの時代にもあるはずです。

 私は、そういう時代にあって、やはり(今は)小説よりも、私自身が気付いたこと。

 それを、皆さんに発表しようと考えました。

 もちろん、ブログも、その一つです。

 そして、私は今、時代に呼ばれようとしています。

 「地震予報」今は「地震予言」を発表していく、時代のメッセンジャーとして。

 実は、未来予報士と名乗る予定でしたが、予言への強い期待から、予言という表記を最近、使うこととなりました。

 私が予言という言葉を使うことで、過去の優れた予言者の皆様に、失礼があってはならないため、私も慎重にやっていこうとは思っています。

 時代は、私に作り物を求めていないようですし、時代が求めるもの。

 それに私は応えていかねばなりません!

 時代に呼ばれた男として。

 そこで、待望の……。


 続く。








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