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「線路へと散った黒い華」
 ご愛読してくださった皆さん、ありがとうございました。
 さて、今日から数日。(気まぐれですけど)詩、あるいは超掌編ミステリを掲載してみます。
 名付けて「スマート・スマート」(薫葉オリジナルのジャンルの意味です)
 ちなみに、連載小説の方、また予定していますので、そちらもお楽しみに!



題「新しき門」
                      薫葉豊輝


 理屈と感覚を、珈琲の中に落とすクリープのように混ぜ合わせ、雨空の下に一人、立ち尽くす。

 そこで、白昼の観測を行なっている僕。

 推理小説は、指で書く「フィンガー・マジック?」

 「左手にトリック、右手にペン」

 想像の風呂敷を広げ、縦横無尽に己の地上絵を、紙の上へと刻み込む。

 目前に現れる黒い魔術師。それに対座する白い魔術師。
 黒と白との決戦が、机上の盤上にて一騎打ち。

 その図の中で、新世紀に立脚する僕(私)達は、さらにその図の続きを描く事しか出来ぬのだろうか?

 辻風が一吹き。

 己の風貌を煽っていく。冷えた頭で問いかける。白装束を着て、新しい呪文を唱える。

 傀儡を操る俯瞰の神としての作家。進退のみを運命づけられている盤上の駒。

 リアリズムとロジックとメタ。ここで行き止まり。
 壁という概念がそうだから?人は概念の前で、頭を垂れる?だけど、ある新しい角度から、僕は何かを見出したい。

 今、時代が向いている視野から、少し先にある物を幻視して、そのビジョンを掴みたい!

 航海の行く手は、霧深く、果てしない。

 終点から初めて、一体、この先、どこへ行けると言うのだろう?

 静かなる電脳林の只中で、一人、深い呼吸を行なってみる。

 風の行き先。流れのその先を。
 黒い魔術(暗黒トリック)任せだけで操作する黒い公式の舵を造り直し、新しい舵のメカニズムを思案しよう。

 本格ミステリの背負った旧概念を祓い、流れ落とすために、白装束を羽織って、新しい呪文を唱えながら。

 だから、白装束の文士は、(連想言語を連ねる)呪文を唱え、旋律を追いかけながら、静かなる電脳林の中にて、幻視する。

 言葉と無との間に存在する、柔らかき揺らめきと、光りとを、この手へとするために。


連載小説「線路へと散った黒い華」第七回(最終回) 作・薫葉豊輝(カオルハヒロキ)




「証拠はこれです」
 そう言うと、J様はショルダー・バッグから私のノート・パソコンを取り出して、東刑事から送られてきた、ある画像をモニターへとUPさせた。それにしても起動が早い。おそらくバッグの外から指で操作。会話の最中にスイッチを入れておいたらしい。
「あっ」
 山村香苗は、平山駅長の写真データを前に、大口を開けた。
「そう、この二枚は、駅長の制服の袖がめくれている映像と、元通りになっている映像です。おそらく遺体を動かしているうちに、めくれていた袖が元通りになったんでしょう。だから警察もその点を見落としかけていたのですが、これを撮影した若手刑事のおかげで、ですね。私は、この袖に映る画像が、女性の口紅の跡だと確信したのですよ。そう、それがスタートです。そこから、あなたの鉄壁のアリバイと、駅長殺害の論理を解くための道筋を探っていった。どうです、恐妻家の駅長。そして、あなた以外に愛人はいなかったという証言に基づき、このキス・マークは誰の物か。自ずと、あなたの物であることに、絞られてくるというわけです。もちろん、この口紅は鑑識を通し、科捜研でも調べられるでしょう。その時、誰がここで争い、指輪を奪い、駅長を転落死させたか、明らかになるのは時間の問題だと思われますよ」
 J様の握るノート・パソコンに雪が一片落下してきた。二片、三片……次第に私のノート・パソコンは銀幕のように、夢の世界を映し出す鏡のように変貌していった。
 空から再び落ちてきた雪……雪の世界で私は、目の前に崩れるようにしゃがみこんだ山村香苗の顔さえ、よく見えなくなってしまった。
 その後で彼女の言った言葉は、余り口にして、語りたくはない。
 何故なら、彼女も不幸な女性だった。そう私には感じ取れたから。
 愛人として、平山駅長を本気で愛してしまい。何度も奥さんと別れてくれと頼んだが、恐妻家の彼は一度も首を縦に振らなかった。
 一年前のクリスマスの翌日。同じ場所で、駅長の指にはめる結婚指輪を奪い、それをホームめがけて投げ捨ててやったと彼女は言った。しかし、奥さんを恐れるばかりに、のこのことその行方を追いかけていく駅長の後姿を見た時、彼女の心に殺意が芽生えたらしい。
 私の愛を受け入れられないのなら、いっそのこと殺してやろうと……。きっと、魔が差したのだろう。昨日のクリスマスは家族サービスで、二人が会うのはいつもクリスマスの翌日。そこで気持ちが高まって、彼女は指輪を投げてしまったのだろう。
 しかし、その瞬間。それまで愛であったものは、憎しみと化してしまった、まるで、コインの表と裏の向きが入れ替わるように、そう、まさに背中合わせの人間の感情は、反転してしまったのだ!
 そして、その殺意を成就させる儀式は、一年後、同じ時、同じ場所(シチュエーション)で実現された。
 だから彼女は指輪を奪ったうえ、雪玉まで投げるというデコレーションを、そこに加えたのかもしれない。一年前には転落はしなかった、駅長の息の根を止めるために。
 二人で点した愛の炎を消すために。
 そうやって、一度は愛しあった二人の男女が、憎しみを抱くことで起こしてしまった今夜の事件。
 クリスマスって、何だろう。時間は巻き戻せないから、時間であるのだろうか。
 人の住んでいる世界はゲームじゃないから、リセットは効かない。
 私たちが一年後、もう一度やり直せるような世界の住人なら、憎しみも生まれず、愛さえも生まれなかったような気もする?
 そういえば、昔私のファースト間接キッスを奪っていった少年と会った日も雪が降っていた。
 雪の中にて突然現れ、食べかけの白い綿菓子を奪っていった白いコートの少年。
 目の前にあるのは、綿菓子?
「九美さん。パソコンありがとう。これが役に立ちましたよ」
 今、目の前に、あの時の少年とJ様が重なってみえる。もちろん、雪のせいだろう。
 もしかしたらあの時の少年とは、やっぱりJ様だったのかもしれない。
 あの時、奪っていった綿菓子を、白い雪の結晶によって美しく彩られていくノート・パソコンとなって、今私の元へと戻ってこようとしているのかもしれない?
 これは奇跡だわ。きっと。今、失った物は戻らない。そう確信してしまっていた私。だけど、失った物は時を超えてこの手に戻ってくるのかもしれない。
 山村香苗。彼女にだって、憎しみの解ける時も、きっと来たはず。
 生きること。生きていくためには、愛憎混ざり合うことは避けては通れないもの。
 だから、憎しみの方向へだけへ向かっていくのは、やっぱり間違っているんだ。
 幸せになりたい。
 じゃあ、どうすればいいのか。目の前の人を愛す以外にはないんじゃないだろうか?

 それが、私の結論。

 今年もクリスマスには、サンタクロースには会えなかったけれど、一番会いたい人と、クリスマスを超えて、出会えた前夜。
 だから、今、私はすっごく思う。
 この世も、まんざらじゃない!





連載小説「線路へと散った黒い華」第六回



「ええ、九美さん。教育です。そして、もう一つ、別の目撃者の証言にある『午前一時四十分に電灯が再び点灯した』という規則性からはみ出した機械的ではない、つまり非常に人間的なランダム行動。この最後の切り替えこそ、あなたのやったものだと私は判断しましたが、いかがでしょう。つまり、それまでの四つまでの三十分の法則による規則的な切り替えは、機械か指示された物?の行動で、五番目の切り替え。つまり、四番目の切り替えから四十分後に行なわれた不規則な行動こそ、山村さん、あなた自身の手によるものではないかと私は読んでいます」
「さっきからあなた、規則だの何だの、まるで学者みたいな口ぶりで話されてますけど、切り替え時間が規則的であろうとなかろうと、それに一体、何の意味があると言うの」
「ですから、教育です。山村さん、おそらくあなたは、インコの嘴へと、電灯の紐式のスイッチの先端をくわえさせたのではないですか? もちろん、そのままの長さでは届きません。ですから、延長用の紐を通常のスイッチの先端部分へと括ることで、その延長した紐の先端部を鳥かごの餌皿付近へと垂らしておき、三十分ごとにインコにくわえさせた。それが私の言う教育の意です。いえ、ここではしつけと言いましょうか。おそらく、深夜、午後十一時半から午前一時の間、必ず三十分ごとに餌を食べさせる習慣をしつける訓練を日々行なわれたのではないか。私はそう読んでいます。と同時に、餌を食べさせる際に電灯の紐を引っ張る訓練も連動して仕込んでおいた。ちなみに延長用の紐ですが、先端部分には丸玉なり装飾品なりは取り付けて置かれたとは思いますよ。でなければ、いくら嘴で挟ませても、紐はするりと抜けてしまいますからね。先端部を団子状にでもしておかない限り。そうやって、犯行の土台を築いた。まず、カーテンを開けて電話をする主婦を利用し、自室の電気の点灯の目撃者に仕立て上げる事で、その時刻のアリバイを確保しておき、その目撃者の目撃時刻外に、あなたは自宅を出入りした。このベランダを使ってね。廊下には監視カメラがありますし、おそらく目撃者が電話を開始する直前の午後十一時半前にベランダから外出したあなたは、付近の駐車場か路駐にでもしていた車へと乗り込み、一時間かけて『秋華駅』へと向かう。そこで駅長を殺害し、また一時間かけて戻り、午前一時四十分過ぎに自室へと戻った。違いますか」
「何もかも勝手な推測だわ。いい加減にしてよ。それに、まずインコの仕掛けにせよ、一体、どこにそんな証拠があるのよ」
「インコの仕掛けに関すると、明日、明後日、その時間帯。ここで実験してみると早いのではないですか。今まで染み付いた習慣。鳥の身体はムチでも打たない限り、その習慣となった行動を阻止することは不可能ではないかと思われますし」
「……い、いいわ、実験でも何でもやってちょうだい」
「了解しました。しかし、一日寝ずに考えれば、何かうまい言い訳でも考えられてしまう可能性もありますが、それだけであなたが駅長殺しの犯人とするには物証が足りません。それは私どもも、充分、承知いたしております」
「そうだわ。私がご近所の目を盗んで、彼女の電話の開始する前にここを出てもし、駅まで行くけたとしても、一体、どうやって彼を殺せると言うのよ。第一、ホームには駅長の足跡しか残ってないって言うじゃない。じゃあ、私はどうやって彼を殺害できたと言うの」
「では、アリバイに関すると、私の指摘した方法をお認めになられる。これでよろしいですか」
「まだ、そんなことは言ってないわ」
「ですが、一応、そうすれば可能ですし、その件は、今は眠っているインコの実験によって証明するとして。ああ、ここは一階ですし、ベランダからの出入りも可能と言う指摘をするのは飛ばしてしまいましたが、こうして俯瞰してみると、充分、その方法は可能かと」
 そこでJ様は、小さく咳をして、こう続ける。
「では、次の証明へと移りましょうか」
 J様のその言葉に、私たちは、息を飲んだ。
「そうやって、終電の出た駅長のいる改札を訪ねたあなたは、そこで口論となったんでしょう。いや、それはあなたからけしかけたかもしれない。そこであなたの視点に立ってみて、私の脳裏にて書いてみた筋書きはこうです。まずあなたは、奥さんへの嫉妬が動機で、駅長から何かを奪い、それを処分することで彼を自滅させた。そこで想定できる第一案は、駅長が大切にされている奥さんからもらった、あるいは共有する持ち物。おそらく宝石類でしょう。そこで共有となると、おそらく指輪。実際、駅長の指から、指輪は紛失されていたそうですし。その結婚指輪を奪って、それを処分することで駅長は事故死してしまったという筋道。しかし、この筋の場合、矛盾点が出てきます。それは、あなたの行動が、明らかに論理的、作為的であったことによって起こる矛盾です。そう、あなたがアリバイを確保しているという時点で、単なる事故死としては考えられなくなるのです。そう、アリバイ確保=あなたには明らかな殺意があったという証拠に違いないからです。山村香苗さん、あなたは、深夜午前零時半頃、改札付近の軒下でまず、駅長の左手薬指の指輪を奪い、それを線路めがけて投げ捨てた。それを見た駅長はどう思うか。恐妻家の駅長だけに、それを失くしたら妻に合わせる顔がない。そう、きっと指輪の行方を追いかけるはずです。だから彼は駆けた、雪が降り止んで、ちょうど真っ平らとなった白い雪道を、狭く、短いスノー・ロードを。そして、彼はホームから線路へ飛び降りようとした時、あなたの第二打が行なわれた。そう、あなたは足元にある雪を丸めて、駅長の背中めがけてそれを投げつけたのではないですか。ただジャンプするだけなら、駅長の息の根を止めることは半々。そう考えたあなたは、念には念を入れて、雪玉を投げつけた。そう、それがあなたの犯した計画犯罪の血塗られた粗筋(ストーリー)です」
「それが本当なら、白い小悪魔。あなたは白い小悪魔だわ」
 私は、両手を震わせながら、全身でそう叫んだ。
「証拠は、どこにあるの。何もかもあなたの妄想。ストーリー・テラーは、あなたの方じゃないの」





「第3回ブログ・ミステリー賞」新選考委員に乱歩賞作家・石井敏弘氏決定!

「第3回ブログ・ミステリー賞」原稿を募集します!


この度、新選考委員に、『風のターン・ロード』で第三十三回江戸川乱歩賞を受賞なさいました、石井敏弘氏を迎えることが決定いたしました!


応募要項

1 ミステリーの原稿を募集します。本格・サスペンス・ハードボイルドなど。それ以外についてはお問い合わせください。

2 枚数は400字詰め原稿用紙にして30~100枚。

最初に、1~2枚(800字以内)のプロットをコメント欄に書き込んでください。その際メールアドレスを必ずご記入ください。

3 〆切は4月末日

4 お一人何編でも応募可能です。

5 賞金はありませんが、出版された場合は所定の印税が支払われます。

6 未発表の作品に限ります。

7 アダルト、パロディ、その他当方で不適当と思ったものは断りなく削除させていただく場合がございます。

8 著作権がありますので、当ブログからの無断転載は禁止します。


選考委員:石井敏弘(作家)・司凍季(作家)


※短編募集につき、数編の受賞作が集まって出版可能となった段階で、商業出版・自費出版をふくめ、書籍、電子書籍化を予定しております。

連載小説「線路へと散った黒い華」第五回



 マンションの玄関を潜り、外気の進入を遮断する造りの廊下へと靴先を踏み込む。
 その時だった、忽然と廊下へと響いた自身の立てた靴音に、少しピクリとしてしまった自分がいた。真冬の、それも深夜に響く足音だ。気味が悪くないなんて、私の肝っ玉レベルでは、まだまだ言えない。もしも上司に「修行が足りんな」と、言われようとも。
「九美さん。監視カメラが設置されているようですね。カメラのことで、東さんから聞いていること、ありませんか」
「あります、ありますわ、J様。実は津山署の捜査員がここへ訪れた際、監視カメラのチェックもしてもらうよう、管理人に頼んだそうなんですよ」
「ほぉ、それで」
「しかしですね、労多くして益少なし。彼女には、前日の午後九時から今の今まで、部屋を出入りした様子は皆無のようなんです」
「皆無ですか」
「ええ、皆無です」
「……わかりました。だけど九美さん、部屋はこの一階107号室。彼女の部屋が一階にあることで、その枷であり、壁も少しは緩んでくれている。そう私は読んでいるので、さぁ、それでは舞台の主役の部屋を訪ねることにいたしましょうか」
「は、はい、J様」
 ちょうど山村香苗の部屋の前へと立ったJ様は、長い人差し指をチャイムへと伸ばす。
「どなたです」
 十秒ほど経過した頃だろうか、ドアの向こうから、鼻にかかった色気ある声が響いた。
「鳥取県警の者です」
 そう告げた私の声を聞いた後、三拍子。ドアを開けた茶髪パーマの女性は、その二重瞼を上下させながら、私たちを見た。
「また、刑事さんですか……これで二度目ですよ、まだ何か」
 不満そうな表情をする山村香苗は、腕を組みながらそう言った。
「お忙しいところ、申し訳ありませんが、もう一度、お話を聞かせていただきたいと思いまして。その後、新事実も出てきましたし」
「新事実?」
 紳士なJ様しゃべり方の前に、山村香苗の表情が一瞬だけ変わった。
 しばらく考えるような顔をした後「どうぞ」と、ドアを全開にしてくれる。
 玄関に入り、遠慮なくお邪魔させていただく私たち。
 彼女と共に廊下を歩き、応接間へと入室。中央に置かれたテーブル前の座席へと、私たちは腰を下ろした。
「で、新事実と言うのは、何なんです」
 テーブルに投げてある様子の煙草ケースへと手を伸ばした山村香苗は、神経質そうな手振りで、煙草を取り出し、もう片手へと持ったライターの火を点ける。
「その前にですね。今一度、あなたの外出時刻を確認させていただきたいんですが、よろしいでしょうか」
「……いいわ。昨夜の午後九時に仕事から帰宅した後、ずっと部屋にいました。ですから、その後には外出など、いたしておりませんわ」
「信じてもよいのですね」
 J様の瞳に光りが満ちている。
「私は、嘘は申しません」
「わかりました。ですが、お気を悪くなされぬように、これも捜査上、やむを得ぬ質問でありますから」
 J様が一礼する。
「ところで、山村さんは、インコを飼われているようですが」
「ええ、寂しいやもめ暮らしですから」
 色気ある長い睫毛に似合わず、その返答が古風だったので、そのギャップが耳の襞へ残る。
「インコの嘴(くちばし)と言うと、結構、硬質なものですよね。押したり引いたり、さらに何かを加えることもできる」
「あなた、何をおっしゃりたいの」
「山村香苗さん、あなた、この可愛い小鳥を、ご自身のアリバイ・トリックに利用されませんでしたか」
「なんですって」
 山村香苗の表情が、一変する。顔の中心に蜘蛛を置いたように、顔中の皺は、蜘蛛の手脚の如く顔の四方へと向かって放射していく。
「J様。私にもわかりません。どういう意味なんです」
 私は、大きく頭を傾げた。それに対してJ様は頷き、再度、山村香苗を見つめて、こう切り出す。
「ここの電気の点灯と消灯の間が、あなたが正面玄関から戻られた午後九時以降。およそ午後十一時半。およそ午前零時。およそ午前零時半。およそ午前一時の四回行なわれているところを、ご近所の方が目撃されているそうなんですが、その規則的な時間という点にまず私は疑問を抱きました。それに、そのご近所さんは、毎週決まった日に海外の旦那さんと空を見ながら国際電話をしているそうですし。あなたは、その時間帯を逆に利用したのではないかと」
「冗談、言わないでよ」
「冗談かどうかは、あなた自身が一番わかってらっしゃるのではないですか」
「何ですって」
「話を進めさせてもらいますが、あなたがその時刻を選ぶのがワン・アイテム。そして、その部屋の隅の鳥かごにいるインコを利用したのが、ツー・アイテム。それをベースに、アリバイ方法を料理したのではないかと。その証拠に、時間の規則性と言う問題が挙げられます。電灯の切り替えはきっちり、三十分置き。この三十分という単位は、何か機械的とも思われるのです。あるいは、教育」
「教育?」
 私は、輪唱する。


連載小説「線路へと散った黒い華」第四回



「ああ、そういえば、切り替えはもう一度確認されていました。別の目撃者なのですが、その方の証言によると、午前一時四十分に、それまで消えていた電気が再び点灯したそうです」
「最後の目撃確認から、ちょうど、四十分後ですね」
「はい。J様。駅長の袖に残る口紅の件は気になりますが、彼女はシロですよ。となると、今回はどうも無駄足だったようですね。では今夜のところは、退散いたしましょうか」
「いえ、九美さん。乗りかかった船です。後手に回るよりは、乗り込んでみましょう」
「でも、J様」
「一点でも疑いが残っている限り、犯罪者には策略があることが多いものですよ。それに勤務中に口紅を残すほどの間柄の相手など、そう数はいないでしょうし。私は、そこに何らかの意味を感じてしょうがないんです。でもですね、このまま飛び込んでも火の中へ入るようなもの。一度、車内へと引き返し、体勢を立て直しましょうか」
「え、ええ」
 私は、くるりとUターンをして歩き出したJ様の後に続いて引き返すことにした。
 
「では九美さん、すでに捜査員が彼女の部屋を訪ねているかどうか確認してもらえませんか。そして、その確認後、部屋の見取り図をできるだけ正確に伝達してもらえないでしょうか。目同は覚悟のうえで頼みたいんですが」
「わ、わかりました」
「では、その際、何がどこにあったかまで、覚えている限りでいいですので、正確に伝達してもらってください、お願いします。ああ、それとペットの存在の有無までも」
「はい」
「それと、もう一点」
「なんです」
「さきほど見せていただいた東刑事の写真データの方も、この九美さんの車の後部座席に投げられているノート・パソコンの方へ転送願えないでしょうか」
「はい、わかりましたJ様。そのようにします」
 私は、ゆったりと微笑んだJ様の言葉へと、応答した。

「はい、はい。わかりました。ありがとうございます」
 手に持っていた無線を置き、さっきJ様から言われた宿題をし終えた私は、助手席にてノート・パソコンの画面を見つめているJ様の方へと向き直った。
「J様。捜査員の方はすでに訪問済みで、その際の部屋の見取り図をここに書き出してみますね」
「面倒かけますが、お願いします」
 私は、今聞いた山村香苗の部屋の見取り図をメモ紙へと書き出し、J様へと手渡した。
「なるほど、七畳半の応接間に、寝室と二部屋構成の一室と言うわけですね。他はダイニング・キッチン以外には主だった部屋はなし。ああ、部屋の電灯の切り替えがされていたのは、どの部屋でしたっけ」
「そう言えば……ああ、応接間だと思います。連絡時に東君が、主語に応接間とつけていたのを思い出しました」
「コマッスムニダ、九美」
「どういたしまして」
 とは言ったものの、J様のコマッスムニダ。和訳して「ありがとう」なのだけれど、これが「困った娘だ」と聞こえてしまったのは、気のせいだろうか……いや、気のせいだ、そうに違いない!
「では、本件の照準は応接間に絞ることができそうですね……。応接間にあるものは、中央にあるテーブルの周囲を囲むように、テレビに本棚、箪笥と、主だった物はこれぐらいですね。んっ、部屋の隅に鳥かごですか。かごの中の鳥はインコ……」
「J様。東君の写真も、転送してくれるそうですし、何とかこれで、情報は揃いました」
 そう私は声をかけたが、おやっ、何故かJ様は反応してくれない。十秒、二十秒……車内にはただただ沈黙だけが流れた。
 その時、新たに無線が入り、私の耳は新情報をキャッチした。
「えっ、指輪ですか……はい、はいっ……」
「どうしました」
 無線を置いた私へとJ様が語りかける。
「今入った情報ですが、何でも駅長は、いつも結婚指輪をはめていたそうなんですが、今夜に限り、指輪ははめていなかったそうです」
「指輪が無い……で、駅構内にも、ご自宅にも見当たらないのですか?」
「ええ、今、駅構内を捜索中だそうですが、現在のところ、発見されていないと。何せ、この雪ですし、捜索といっても進みは悪いでしょう……」
「指輪、指輪……待てよ」
 急にJ様が顔を上げる。
「九美さん、では、参りましょうか」
「J様。何か気づきまして?」
「私の頭は有限ですが、想像力は無限に広がるものです。今、一つだけ頭を過ぎったことがあるのですが、実はまだ半信半疑。それよりも、ここは大きな賭けに出ましょう」
「わ、わかりました」
「ああ、そうだ。このご愛用のこのノート・パソコンを、私に貸していただけませんか」
「どうぞ、使ってやってください」
「コマッスムニダ」
 一礼したJ様は、肩に担がれているショルダー・バッグの中へとパソコンを仕舞った。
 一面に広がる白い絨毯の上へと再び下車。
 さっきまで漂っていた憂いを祓い、さっそうと歩き始めたJ様の後ろへとコートの襟を立てながら続く。
 しかし、J様の背中からはオーラを感じる。柔らかい日の光りを放っているような温かい背中。ふと、昔父親と言った冬の遊園地のことを思い出した。私の持っていた綿菓子を奪っていった少年と、初めて会った場所。そう、あの時の少年にどこか似ているのだ、J様は。まさか、あの私から綿菓子を奪い、通り過ぎていった少年ではあるまいに。つまり、私から初間接キッスをも奪ってしまった少年……そして、未だ忘れられない少年。
 ピシャ。こんな時に、余計なことを考えてどうするんだ、九美。あっ、J様。少し歩くのがお早いですわ、待って下さい。
 J様から、ワン・テンポ、ツー・テンポ遅れてしまった私は、この小柄な身体に加速をかける。髪の毛の揺れを押さえるよう、片手で頭部を押さえながら。


連載小説「線路へと散った黒い華」第三回



 東刑事から聞いた、平田駅長の愛人の住所を頼りに、愛車アクセラへと乗り込んだ私とJ様は、いざ、愛人宅を目指してアクセルを踏み込むことにした。
「J様。さっきは一体、何を見つけられたんです」
 ハンドルを握りながら私は、物憂げな表情を浮かべるJ様の瞳を覗きこむ。
 J様の唇が耳に近付き、その息がかかりそうなぐらいの位置に達した時、十数文字の言葉が鼓膜へと流れる。
「えっ、袖裏にキス・マークがあったですって?」
「そうなんですが。ですけどね、九美さん。それが事件と直接関わっているかどうかは、まだ判断しかねますよ」
「確かに。だけど、不自然だわ。一体、誰の……まさか」
「九美さん、勇み足はいけませんよ。ですが、それを確かめるために、今、キスの上手い女性候補者宅へ向かっているんですし、途中で事故など起こすことなく、気を付けて運転の方をお願いします」
「す、すみません。私、少しスピード出しすぎていました」
 J様へとお辞儀する。そう、私のいつもの悪い癖が出ていたようだ。
「ところで九美さん。この写真は」
 J様は、ルームミラー裏に挟んでいる一枚の写真を指差した。
「あっ、それは、学生時代に韓国で写した記念写真です。その頃ですよ、J様とも出会ったのは」
「やっぱり。どこかで見た風景だと思いましたが。ですが九美さん、日本人のあなたが、それほどまでに我が祖国のことを気に入っていただいているとは、光栄ですよ、私は」
「いえいえ。留学時代は、本当にいい思い出ばかりなんです。だから韓国は、私の第二の故郷なんですよ、それに、J様ともお会いできましたし」
「九美さん。嬉しいです、私は。幼い頃から日本人というと、鬼のような人種だと祖父母から聞いて育っていただけに……私こそ、よい人に出会えました。コマッスムニダ。いえ、日本語で言いましょう。ありがとう!」
「私の方こそ」
 留学時代に仲間達と写した一枚の写真を前に、私の時間も逆流していくような気がしてきた。ちょうど、カー・ラジオから韓国の歌姫の唄うラブ・ソングが流れてくる。
 もう止んではいるが、一面銀世界の続く深夜へと響く甘いラブ・ソング。
 あとは、今と言う時が勤務時間でさえなかったら……。
「九美さん、車線、車線をはみ出しそうですよ」
「ああっ」
 J様の声に反射するように、両手で握るハンドルを切る。
 ああ、私ったらほんとに、おっちょこちょい。ごめんなさい、J様。これからはもっと運転テクニック上げていかなきゃあ。そうでないと、みんな、私の助手席に乗りたがらなくなるからね。そう、今でさえ私の助手席は「魔の助手席」と呼ばれかけているんだから……。

 平田駅長の愛人山村香苗のマンションは、車で約一時間かかる岡山県津山市の繁華街にあった。繁華街とはいっても、さすがに田舎。商店街の数もビルの数も決して多いとは言えない。
 愛人のマンション付近の駐車場へと車を停め、私たちは目的地へと向かう。
 ちょうど車を降りる前だった。東刑事から無線が入り、愛人のアリバイ証人が現れたと言うのだ。
「九美さん、それは本当ですか」
 無線を置いた私の頬に、J様の息がかかる。
「ええ。何でも、お近くにお住まいの主婦が、その部屋の電気が切り替わるところを四度ほど目撃されたそうなんです。カーテンが厚いせいか、その内側までは透けてはいないそうなんですが、証言によると、少し開いていたカーテンの合わせ目から漏れる灯りを見たそうです。まず午後十一時半頃に消えていた電気が点灯し、午前零時頃に再度電気が消え、そして再び午前零時半頃には電気が点き、最後に午前一時頃に電気が消えたそうなんです。ただ、消す際の彼女の姿までは、位置的な問題があったのか、目撃はされていないようですが、切り替えが行なわれたのは確かなようです」
「何故、四度も目撃できたのでしょうね。数が数だけに、偶然にしては高い気がするのですが」
「何でもその方は週三度、深夜十一時から午前一時まで、海外に単身赴任中のご主人と、空を見上げながら長電話をする習慣があるらしく、今夜もその約束の日だったそうです」
「なるほど。それならば、目の前のマンションの部屋の明かりに気付かれることは充分に考えられる」
「同感です。それと、その愛人ですが、彼女はマンションに一人暮らしで、他人の出入りは駅長以外になかったそうですから、もしこの証言が確かなものでしたら、ここから片道一時間かかる「秋華駅まで行って戻ることは不可能ですよね」
「確かに……しかし、電灯は、三十分置きに点いたり消えたりしているようですね。でも、何故、三十分なんでしょうね……」
「三十分には、さほど意味がないと思われますが、その前に、それだけアリバイが完璧なら、例え終電を利用しようと、いえ、他の交通手段を利用しようとも、ちょっと往復は不可能そうですね」
「…………」
 J様の表情に暗雲が漂う。


連載小説「線路へと散った黒い華」第二回



「この足跡を見る限り、酔っている様子でもありませんし、どちらかと言うと駆け足で飛び込んだような跡ですよね」
 J様の指摘に、私はテープで囲った枠内に続いている足跡を見下ろす。
「そう言われてみると……」
 J様の言うとおり、千鳥足ではなくて、どこか勢いづいた印象を受ける。
「と言うことは、異常な心理状態にあったんでしょうか、たった一人でホームから落下してしまうなんて……」
「J様。ですけど、誰かがここにいたら、足跡が残りますよね」
「ですから、妙な現場なんですよ。ああ、東刑事さん、よろしければ、被害者である駅長さんに関する情報を教えていただけませんか。人間関係、怨恨関係に関して、もう調査されているのでしょうか」
「え、ええ。本来なら、捜査員以外にお話することはできませんが、班長でもある警部補のお知り合いのうえ、警視副総監の義弟さんでもありますし、お話いたしますが、実は、駅長の平山さんには愛人がいたらしいんです」
「愛人ですか」
「ええ。これは、平山さんの携帯電話で最も連絡されているご友人から、先ほど聞いたことなんですがね。ちなみに、着信履歴から、その数を数えて、まずは一番多い方に連絡してみたのです。そして、二番目に多い方が、その愛人だったので、ちょっと面食らいましたが」
「ごめんなさい、東君。私が所要で市外へ出ていたばかりに現場への到着が遅れたんだけれど、あなた、私の代わりに、しっかりとお仕事してくれていたのね」
「いえ。褒められるほどのことは」
「うん、うん、いいのいいの。あなたは、よく働いてくれてるわ。それで、その愛人を挟んで、奥さんと泥沼状態だったとか」
「いえ。駅長のご友人のお話によりますと、奥さんとは確かに不仲だったそうですが、愛人の存在は、奥さんにはばれていなかったようです。ただ、駅長の奥さんは友人間では鬼嫁と呼ばれるほど性格のきつい女性だったそうで、駅長といえば恐妻家というイメージがつきまとっていたそうです。そして、その愛人のことを奥さんにも一応確認したのですが、愛人、そんな言葉は初耳だと」
「東刑事、それでは、その奥様のアリバイの調べは進んでおられますか」
 J様が、私たちの会話の中へと入ってくる。
「ええ。ちょうどその時刻は、所属されているテニス・サークルの飲み会に出てらしたそうで、ちょうどお開き直前だったので、参加者全員がアリバイ証人になってくれるそうです。もちろん居酒屋の店員も。ちなみに居酒屋の方には確認済みですので、奥さんの犯行の可能性は、ほぼゼロかと」
「ありがとう。では、愛人の方のアリバイは」
 再び、J様のお言葉。
「今、近くの捜査員を向かわせていますので、そのうち情報が入ってくるかと」
「そうね。じゃあ、その一番の友人は、どう、アリバイはあるの」
「その方は今、出張で県外にいますので、論外かと。実際、宿泊先であるホテルのフロントにも確認取りましたし」
「わかったわ。ああ、東君、愛人は一人よね」
「ええ、お一人で間違いないそうです。何でもその女性一途だったと、ご友人が」
「一人……奥さんがいるんだけど……まっ、それはいいとして」
「九美さん、私からも質問。いいですか」
「どうぞ、J様」
「では、遠慮なく。あの、東さん、ご遺体の方はもう」
 J様が、東刑事の横顔へと尋ねる。
「ええ、警察医と共に病院へ向かいました」
「そうですか、ではご遺体に何か特徴はなかったでしょうか」
「はい。制服を着ている以外は特に。多少、服に皺は寄ってはいましたが、ボタンが外れるなど、着衣の乱れに関すると、さほど不自然さは感じませんでしたが」
「しかし、肩にカメラを提げられているようですが、まさかそれは、デジタル・カメラではありませんよね」
「よくおわかりで。実は私は常日頃からデジタル・カメラを携帯しているのです。事件の際に、その現場をスピード撮影しておくと、何かと役立つことも多いですから。ちなみに今夜も、ご遺体の撮影もしておきました。見られますか」
「お、お願いします。しかし、鑑識課の方でもないのに、カメラとはお珍しい」
「実はこれも、遅れてきた警部補のために撮影したものなんですよ。目の前にはもう無い遺体について、あれこれと説明するよりも、これを見てもらった方が早いと思いましてね」
「東君。それなら早く見せなさい。いい」
「はい、警部補」
「んっ」
 東刑事のデジタル・カメラのデータ確認を始めたJ様が、首を傾げた。
「どうしました、J様」
「いや。九美さん。よければこれから、駅長の愛人宅へと行ってみませんか」
「はいっ?」
「東さん、愛人のご自宅は調べられていますか」
「ええ、駅長のご友人から、お聞きしましたから」
「住所を教えてください」
 普段は穏やかなJ様の眼差しに、強い光りが宿った。J様、あなたは一体、何を見つけたと言うの!?

「第3回ブログ・ミステリー賞」原稿を募集中!

 「第3回ブログ・ミステリー賞」原稿を募集中です!

 そこで、私も投稿者としても参加します。
 さらに、下読み選者としても参加します。(ダブル役者です)

 プロットの書き方は読者にお任せです。トリックを隠したい場合は、私宛へとメールいただいても構いません。(司先生の方へ直接転送いたしますので)


 さて、連載小説の更新は、深夜行う予定です。
 ちなみに、連載小説の更新は、3日に一度ペースぐらいでお送りしていこうと思っていますので、今後ともよろしくお願いします!

連載小説「線路へと散った黒い華」第一回



「線路へと散った黒い華」
                        薫葉豊輝


 作者の言葉。


 作中に登場する駅長の友人の証言(駅長に関する情報)と、駅長の妻の証言。そして、作中に登場する某女性の住むマンション前に住む住人の目撃証言。

 これらには一切、嘘偽りはございません。よって、この証言に関すると疑わず、正確な情報として受け止めてくださいませ!



 鳥取県鳥乃市を走る、鳥乃線「秋華駅」へと到着した鳥取県警捜査一課強行犯二係に勤務する私、嶋山九美・二十七歳は、最近吹けが悪くなってきた赤いアクセラのエンジンを切って、真っ白い駐車場の地面へとロングブーツを置いた。
 鳥居を思い起こさせるような赤一色の「秋華駅」へと駆け寄り、改札付近で見覚えのある顔に遭遇。
「君、ここは立ち入り禁止だ。出ていきたまえ」
 制服警官に追い返されている様子の、二十代半ばに見えるサラサラ・ヘアの青年。白コートに身を包むその姿を見た瞬間、私の声は黄色がかってしまった。
「J様。J様じゃ、ありませんか」
「ネ? いや、もしやあなたは、九美さん?」
「覚えてくれていましたか、嶋山九美です」
「アンニョンハシムニカ」
「アンニョンハシムニカ」
 私は、憧れていた懐かしい友人と再会した喜びで、胸がいっぱいになってしまった。
「警部補。嶋山警部補。この方は、お知り合いでいらっしゃいますか」
 改札の向こうに立っている金沢巡査が、私の側へと駆け寄ってくる。
「ええ。この方は、警視副総監の義弟の、ジェイ・ハイドさんよ」
「あ、あの、去年副総監とご結婚されたミス韓国にもなったエリート医ジェイ・リーさんの弟さんでありましたか。こ、これは失礼いたしました」
「いえ。お気になさらないよう」
 そう、彼こそ、韓国警察の誇る頭脳と呼ばれた伝説のキャリア刑事ジェイ氏を父に持つ韓国籍の探偵。
 実は、彼も刑事をやっていたそうだが、自身の出された「警察改革案」が会議にて却下されたことを機に警察を退職。その後、日本へと渡り、探偵事務所を開業した異色の人物。
 さらに、女医でありながら、一昨年のミス韓国にも輝くという特異な経歴を持つ彼のお姉様が、日本の警視副総監とご結婚までされたので、警視庁ではちょっとした有名人なのだ。
 で、何故に私が彼のことをJ様と呼んだり、警視庁の噂に詳しかったりするのかと言うと、実は私は、大学時代に韓国に留学していた際、この甘いマスクのJ様と会っているのだ。その時、ある事件に巻き込まれた私は、彼に助けてもらってからのファン。
 そして、警視庁の内実に詳しい理由は、単にこの春まで警視庁勤務だったから。今は故郷でもある鳥取県警本部で刑事をしているわけだが。でも、思わぬところでJ様と再会するなんて、ちょっとぉ、ドキドキ!
「でも、どうして、鳥取に」
「いえね。たまたま旅行に来ていたんですが、ホテルから赤色灯が見えたもので。何か事件ではないかと」
「J様。やっぱり性分なのかしら」
「どういうわけか、事件とは縁深いですね」
「そうだ。では、J様。よろしければ、あなたに捜査協力をしていただこうかしら」
「よいのですか」
「ええ」
 私は、J様をエスコートするポーズを取って、改札を潜った。
「コマッスムニダ。九美さん、では、お言葉に甘えさせていただきますね」
 改札を入ってすぐ、金沢巡査にJ様の身分と班長でもある自分の判断により、J様を現場に入れることを皆に伝達してくれるよう頼んだ私は、ホームに残る足跡に目を留めた。
「これね。駅長が落下直前に残したという足跡は」
「そうであります、警部補」
 同班の若い私服刑事である東巡査部長から、敬礼をもらう。
「東君、ご苦労様。じゃあ、状況を説明してくださる」
「はい。では説明いたします。今夜、お一人でここへ勤務されていた駅長の平山さんが、何らかの原因でホームから線路上へと転落死したのが、本件のあらましなのですが、警察医の検死によると、死亡推定時刻はおそらく、午前零時半から午前一時に絞れるのではないかと」
「現時刻が午前二時だから、ちょうど一、二時間前ね。それで、第一発見者は」
「午前一時五分にここを通過した貨物列車の運転手です」
「なるほど」
 私は、警察手帳に、事件のあらましを軽くメモする。他にも二、三点、質疑応答をしながら。
「九美さん、ここに残る足跡の深さ。二重に踏まれた様子でもなさそうですし、駅長さんは、やはりお一人で線路へと転落したようですね。だけど、何故?」
 さっきまでは掛けていなかった眼鏡を掛けているJ様が、首を傾げながら私を見る。
「さすがですわ、J様。観察がお早い。でも、確かに自殺にしては、不自然ですね……」
「何故、この場所でという≪WHY≫の問題について、僕には理解しかねます……」
 J様は、片手を頬に当てて、そうつぶやく。
 五、六センチほど積もった雪のホームの上に残る足跡。
 改札の軒下には複数の足跡が残るが、改札から駅長の転落地点までに残る足跡はただ一つ。
 さっき、東刑事から聞いた情報によると、靴のサイズは、駅長の靴と同サイズだったことは確認済みであり、雪の降雪時刻は前日の午後十時から午前十二時半まで。

 つまり、雪の止んだ午前零時半から発見時刻である午前一時ぐらいに死亡時刻が絞られるという計算なのである。
 ちなみに、ここに停車する最終電車は、午後十一時五十分。
 その際に乗り降りした乗客の足跡は降雪によって消えてしまったというわけである。
 もちろん、ご遺体の状態から検死した死亡推定時刻の割り出しの方も、ちょうどその時刻と符号したからこそ、警察医は、その時刻を指摘したことは、忘れてはならないが。
「やはり、駅長は自殺よ」
「九美さん。それはどうだろう。駅長さんがホームから飛び降りる視点に立って、僕は考えてみようと思うんですが、どうしてもその心理に迫れない……」
「どうして」


 つづく。


(この作品は、原稿用紙換算枚数計45枚の作品です。それを今後、何回かに渡ってお送りしていこうと思っています)