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私の「名探偵」について。


 予定していた「小説企画」の前に、私の推理小説について二、三。


 私、薫葉豊輝は、推理小説を書く以前。自分をモデルとした(+発明家という夢などを背負わせて)「発明家・百間川のエジソン」という四コマ漫画を描いていました。

 もちろん、小説も書いてはいましたが、主に文学で、推理小説はポツポツと小雨程度の勢いで読んでいたぐらいですので、現在の姿は想像もしていませんでした。

 しかし、衝撃的な一冊に出会った時、「自分の求める世界はこれだ」と羅針盤の針はそちらへと傾きました。それが「綾辻行人」さんの「十角館の殺人」です。

 それはそれは衝撃的な作品で、それまでイメージしていた推理小説のイメージを払拭されるほどの衝撃でした。物理的な衝撃と言うと正確でしょうか。

 と言うのも、文学は心理を主題とする活字文芸である半面、「十角館の殺人」に書かれていた物理感が脳を殴打。その世界の広さに私の食指は動いたのです。

 そこで、「自分の書きたいものは、こういう新しいものを生み出す作品だ。よし、凄い推理小説を書いてやろう、不可能トリックを」と思い立ち。
 同時進行にて、名探偵役も想像することにしました!

 そこで誕生したのが(四コマ時代から馴染みのある。そして自分をモデルとした)百間川のエジソンこと、百間川一声(ひゃっけんがわいっせい)というキャラクターです。


 何故、百間川のエジソンという名前なのか?


 それは、私の地元が岡山県岡山市であり、自宅付近に流れる川が、内田百閒のペンネームの由来ともなった「百間川」であるからです。(百閒先生の生家も付近にあります)

 そこで、四コマ時代からの自分の(黒いロング・コートを着た)発明家キャラを探偵役に立てて、地元を舞台とした作品を書き(計四本ほどの推理小説を執筆後)、地元で推理小説を書かれている(乱歩賞作家)石井敏弘先生の門を叩きました。(推理小説の講座です)

 そこで早速、二作ほど先生に見ていただいた私は、百間川のエジソンの話よりも、「回帰の塔」という文学調の話の方を評価されて、嬉しい反面。

 やはり、百間川のエジソンというキャラクターはナチュラルさにおいて、どこか浮世離れしているかも?と考えるようになりました。

 しかし、その後、百間川のエジソンも、自分語りをしない名探偵という造詣から、ナチュラルで、自分の胸の内を語らせることによって(さらに家族や生活を描くことによって)、以前よりは、かなりナチュラルなキャラクターになったのではないかと、今では思っています。

(名探偵は、自分の内面を見せないことが定番なので、それに対して心理描写を入れることで、脱しようと考えました)


 では、ここで(そういう心理描写を入れて自分語りをする)「女王陛下の『百間川のエジソン』」という作品にリンクを貼っておくことにします。

 この作品は、ご存知の方も多いでしょうが、このブログを通して初めて私の存在を知っていただいた皆さんに対して、プレゼントしたいと思います。
(ちなみに、第4回「新世紀小説バトル」という公募に投稿した作品でもあります)




 作品閲覧へ!




・キャラクター・データ


・百間川一声(26)=岡山県警捜査一課特別捜査官。(企画プランナー兼私立探偵)
・経緯=留学先であるアメリカから帰国後、アメリカ大統領並び法務大臣を狙撃者から救出後、犯人をバイクで追いかけ逮捕した功績が認められ、(さらに祖父に元警察庁長官官房・総務審議官がいることと、幼馴染の岩崎奈留美警部補の父親が岡山県警本部長であることなどから)、警視総監からの特例で「特別捜査官」という特殊免許を授与されることに。
・特例においての条件=岡山県警の岩崎警部補か、三草五郎巡査部長のどちらかとペアにて行動する時のみ、一般刑事と同じ権限を与えられる。
・特徴=アクアス キュータムの黒コ-トと紅茶を愛用・愛車「ミニケンジントン」・「米国にてP・Iライセンス取得」・「発明協会会員」・「胸に、片割れの十字架」・「謎の指揮棒を携帯」・著書「探偵奇談」(エッセ)



お知らせ。


 明日(あるいは明後日)から、私がこの一月に書き上げた「短編推理小説」を連載いたします。

 自信作?
 いえ。気分の乗っている時に、(執筆の際に生じてきた)ドライブ感を楽しみながら書いた作品ですので、ノリ重視の作品と思っていただける方が、よろしいかもしれません。

 トレンド感満点?のキャラクターが、ホームへと落下した駅長の死の謎を解く本格ミステリの一編。

 どうぞ、お楽しみを!


 感想、大歓迎です!


薫葉豊輝の推理小説論5




 何故、アリバイのある人間に、その犯行を行なうことが出来たのか?
 何故、足跡も残さずに犯人は、雪の山荘を出入りし得たのか?
 何故、鍵の掛かる密室から、犯人は消える事が出来たのか?
 何故、被害者は、奇妙な記号を残したのか?それは、犯人を示す暗号であるのか?

 本格ミステリの世界では、意外な謎が現れれば現れるほど、読者の興味は惹きつけられます。
 
 このように、謎の見せ方。意外な謎を発案することによって、本格ミステリにおける今日の成功があり。読者層を獲得してきたと言っても、過言ではないかもしれません。

 まとめ。

 ミステリの構造とは、器の上に謎を載せて、さらにその上に論理を載せることをして、一体と成す。

 以上。謎について考える私のお話を終えたいと思います。
 今後、トリック。伏線。謎解きに関しての評論も、この場にて述べさせていただこうと思いますが(一つのミステリ論の完成を念頭に)。ひとまずここで第一章を終えたいと思います。

 次回の更新は、また別の企画を考えておりますので、次回の更新をお楽しみにお待ちください!


薫葉豊輝の推理小説論4



謎の論理

 常識の度合い。そのグラデーションの濃度によって、ある種の差異は決定されるかもしれません。(注=ここでは常識と定義していますが、幾らでも代用は利きます)

 常識。現実性など、世の中で当然とされることを器の上で劇化しても、おそらくは物語世界で起こる未来。その行き先を、読者はすぐに読んでしまえるでしょう。

 そこで、謎の不可思議性を高めるために、意外な謎を用意することが、推理小説における質の高さと、ある程度、比例していきます。

 もちろん、日常レベルでも、単純な謎を難しくみせる方法。それもあります。

 が、その場合は、高等テクニックが必要(単純な謎を隠す技術。その隠し方に焦点を置いたテクニックが必要)となるので、今ここで語るのには限界があります。

 そこで機会あれば、そのテクニックについても語らせてもらおうと思いますが、この場では、謎のなかでも意外性に重点を置いて、お話を続けたいと思います。

 さて、意外な謎。そのグラデーションの濃度によってもたらされる解けない謎。
 それが描かれる分野を主に、本格ミステリの分野が担い、読者側からの需要に対し、供給を行なっています。
 もちろん他の分野でも不可思議な謎を扱う推理小説は多大に存在します。
 しかし、今語る意外な謎という問題。

 それについての専門は、やはり過去から現在においても、本格ミステリが高い率で担っています。


続く。



薫葉豊輝の推理小説論3



 となると、謎を仕掛ける犯罪者の方の知性が問われます。

 何故なら、仕掛けられた謎の方が、弱小規模のものであるなら、解き手の知性もさほど必要とされないからです。

 そう、ここが推理小説の難しいところ。

 謎の方の難易度を上げることは即ち、解き手。

 いや、作り手の勉強量の方も上げねばなりません。
 ですから、推理小説の謎と謎解きという公式を考え出す書き手の知性。これも問われます。

 だからでしょうか。推理小説の書き手には識者、専門職の方、学者等が多く、現代では、専門技術を駆使した謎解きが、多くの作品の中にて描かれています。

 しかし、ここで誤認してはならないのが、専門が行き過ぎても、面白い推理小説には成り得ない。それも見極める目が必要となってきます。

 例えば横溝正史という作家がいますが、すでに亡き大家でありながら、現代の推理作家が未だ乗り越えられない巨人であり続けられるのは、彼の作品には、あらゆる要素が詰められているからでしょう。

 そして、推理小説の公式。

 とにかく完璧に近いフォルムを持っているからだと思うのですが。
 横溝正史の小説を読むと、専門知識だけで謎を解く作品にはない抜群の論理と、物語としての面白さ。

 そして、結末における意外性。それに付随してくる感激。それらを同時に味わえます。

 そう、この器に載る謎と論理の関係性。

 その名料理人の代表格の一人。それが横溝正史ではないでしょうか?

 では、器にて謎を昇華させてくれた材料である論理。

 そう、上に載せるパーツは主にその二品ですが、その二品によって生み出される完成された料理の形は、書き手の力量によって、千差万別。出来の良し悪しが開きます。

 では、質の高い謎と、質の低い謎との差は、どこで分かれるのでしょうか?



 続く。




薫葉豊輝の推理小説論2




 そう、秩序。秩序の回復を行なう救世主。それが欲しいと。

 二元論には賛否あるでしょうが、わかりやすい例えとして、こういう例えを用いてみたいと思います。

 崩壊世界をもたらせた犯罪者をサタンとしてみましょう。

 では、秩序回復の戦士を十字軍と例えても面白いかもしれません。

 しかし、この場合の十字軍は正確には軍隊ではなく、頭脳プレイを得意とする一人の騎士団長(あるいは、将軍・軍師他)。

 そういう仮称の方が相応しいかもしれません。


 そう、名探偵という役割がそれに当たります。


 と、ここで器の上に載った謎の上に、さらに、名探偵。いや、その名探偵の行なおうとする大仕事である「論理」(仕事を集約して論理と表現)を載せてみることにします。

 すると、どうでしょう。

 謎(をもたらせた犯罪者)と論理(を使う名探偵)とが、知恵と知恵とを交えながら、闘い始めました。

 そう、その戦いの過程。これが推理小説の一番美味しいところです。

 続く。




薫葉豊輝の推理小説論1



 ブログを初めたこの機に、私自身の推理小説論をまとめたいと思いました。よろしければ皆さんも、お付き合いください!


 推理小説は1841年4月に米人作家エドガー・アラン・ポーが発表した「モルグ街の殺人」が起源とされますが、それから163年。繁栄と衰退を繰り返し。知的読み物という定位置を今日では築き上げているような気がしています。

 では、それまでに書かれた文学。あるいは怪奇小説と、ポーの持つ視点。その違いは何なのでしょう?

 それは「論理に基づいた検証によって明らかにされる謎解き」
 その一点に集約されるのではないかと、思います。

 と、ここでポー論や、ミステリ史を長々と語ろうと言うわけではありませんので、皆さん、ご安心ください。

 では、何を述べようとしているのかと言いますと。
 それは、推理小説の持つ構造と、視点について、手短にお話したいと思っています。

 推理小説の構造。

 それは、(秩序ある世界ということを前提とした)器(世界・舞台)の上に、まず謎を載せます。

 すると世界のバランスは壊れ。条理を不条理が覆い、器の上の料理は乱れに乱れます。


 そう、美の崩壊です。


 では、それをそのまま活字化する手もあります。それはそれで面白い。
 不条理なら不条理だけで書き切る幻想小説という分野(古くは安部公房著「砂の女」などもそういう部類に入るでしょう)。

 もちろん、それを書くためには、相当の筆力が問われますが、不条理系小説も価値の高い作品だと私は思っています。

 が、今語っている分野は、推理小説。

 そうです、推理小説において、着地点無き物語はストーリー、論理性の破たんとされる約束事があり、その線から考えますと、これではいかんと言うこととなるのです。

 ただし、例外もあります。
 メタ・ミステリ(あるいはSFミステリ)という分野がそれに当たり。メタ・ミステリにおいて、不条理な世界を残しておくことは、その分野を成り立たせる重要な要素でありますから、それは分野として許される決まりも、暗黙のうちに生じています。

 しかし、メタ・ミステリは、土台として世界は異端であっても、あるいは非現実的であっても、その世界で起こる事件の方は比較的、論理的な謎解きが書かれている作品が多いので、一概に型に嵌める事はできません。

 つまり、論理的である部分と、論理的でなくともよい部分(論理的でなくともよい部分とは主に、世界、あるいは舞台の土台、特殊能力等)とで成り立つ(SF・ファンタジーとミステリとの)混合分野。
 そう言い得るのではないかと私は思っています。

 さて、美の崩壊した器。

 その無秩序となってしまった混沌世界を見る(読者としての私たち)の心に、ある欲求が生じてくるように私には思えます。

 ……!

 明日に続く。


推理小説の扉(2)


 昨日、語った難しさの問題。例えば私が自分では破たんのしていない推理小説を完成させるとします。でもそれは自分の目から見た完成です。が、見る人が見れば穴がある。
 でも自分にはその穴は透明で見えない。しかし、書く度に、その穴の大きさも減少していき、小粒な穴に抑えることが出来るようになりました。しかし、ここまで来るのにどれだけの時間がかかったかと思うと。その年月の側から私は、推理小説の難しさを思うのであります。

 さらに、読書量も重要な要素で。プロ。しかもその中でも上手い人の作品は、読み物としても良質であるし。トリックに定評のある方の作品を読めば、必ず感心させられます。
 と、ここに、オリジナリティと、技術、そして質という問題が浮上。
 自作と比べてどうでしょうか。
 オリジナリティ。技術。共に質に差があります。となると、その差がプロとアマの差。そして、賞に輝く受賞作にせよ、プロに近い質を備えているわけですから。
 自分との間にある差はやはりあります。
 
 さらに本は次々と出版されます。50冊しか読んでいない人の考える(トリックを含む)ストーリーと、100冊、200冊読んだ人の考える内容にも差があると思います。

 そして、新しい作品には時代や旬が込められている。
 こうなると、その読書レースに乗れないと、勝負は大変。

 でも克服する方法が一つだけあります。それは文才。
 初めからトリックは無視。文才だけで勝負。
 そうなると、ジャンルは、日常推理ものとなりますが、しかし、この場合の勝負は又、ある意味で大変厳しいので、やはり推理小説を書くことは難しい。

 長々と語ってきましたが。
 これら、とても大変な商売を、地元にて交流のある石井敏弘師匠と、若輩者であるにも関わらず、私を見出し、こうして舞台へと挙げてくださっている司凍季先生は、もう十数年やられています。

 それはそれは、頭を使ってきたことかと思われます。

 しかし現在。石井師匠の方は、ご自身の温められておられる歴史ミステリの方。何年かかってでも完成させてみると、日々の資料研究。取材等。足と頭を使い一作に長い時間をかけて取り組んでおられますが。

 一方の司先生。
 女史の作品は、まさに、私が上記してきた不可思議な謎を論理的な手法で解くミステリの専門家であります。
 ミステリが好きでも、司先生の作品は未読と言われる方。
 あるいは、これからミステリを書いてみようと思われる方。
 是非、お手にとって、読んでみて下さい!
 満足のいく読後感が、必ず得られると思いますよ!

 特に、現代のミステリ漫画ブームと符合して、内容が、本格的な謎解きのお話ですから!
 そして、頗る面白い!
 今。図書館や、中古本屋に押されて、作家は苦しい立場に追い込まれています。
 本が買われない状況は、この先、どんどん物書きを追いこんでいき、作家自身のモチベーション。良作を書こうという意気込みの方にも、暗い影を落としかねない。経済面。メンタル面双方に響いてくるのではないかと、私は予感しています。

 いえ。それ以前に、面白い本は、やっぱり、人に薦めたいと、おせっかいものの私は、つい口にしてしまいます。

 もちろん、面白い作品に限ってです。ですから、この映像メディア主流の時代にあっては、読まれるべき作品が読まれていないのではとでさえ、危惧しています。

 過去書かれた作品にも、未だ真似のされていない良作が、山の数ほど眠っています。
 そう、お宝が!

 そこで、私が司先生の作品でオススメしたい本を一冊。挙げてみることにします。(未読作が多いので、どれだけのオススメ度とは述べられませんが)

 私のオススメの作品は「蛇遣い座の殺人」です。

 推理小説のお手本が、秘められた、印象深い作品です!

推理小説の扉


 今日は、私、薫葉豊輝の考える推理小説についてお話します。
 小説と推理小説との違いは何でしょう。それは「原理」を中心に据えて物語を作る構成の違い。まずそれが挙げられると思います。原理とは何か?不可思議を生み出す仕掛けだと思います。
 その仕掛けの鮮度。サプライズ度。面白度。魅惑度等。新鮮であればあるほど、読者は熱狂してくれます。
 が、これだけ科学の発達した現代にあって、未発見な原理は数えるほどしかないかもしれません。(後は、出来るだけ未開拓な領域を活字化するか否かが問われるかと思われます)
 となると、次に必要となってくるのは、謎の壮大さ。

 まず原理ありきと考えるのが正論ですが、とんでもない謎の方を先に考えるのも面白いかもしれません。
 そして、謎が出来れば、次は技術です。これは文章面と、論理面の二つがあり。
 推理小説では、主に論理性が問われます。例えば、先ほど述べた謎を、非科学的。非論理的な解決で犯人を逮捕してしまったら、どう思われますか?
 読者の心に浮かぶのは一つ。疑問だけです。何故?という。
 おかしい。納得できない。そう思われるとその作品は出来の悪い作品と言う烙印を押されてしまいます。言い方を代えると、これをストーリーの破たんと言います。(しかし、ある一定の論理的印象を与える作品は、破たん作とは見なされません。賞でも選者にもよりますが、あり得そうと思わせられるかどうかに、境界線を引けると思います)
 となると、ホント、窮屈な世界です。

 ファンタジー小説やホラー小説では許されることが、ミステリでは許されない。
 その狭く、ガチガチの体裁。まさに、ミステリの歴史とは頑固親父たちの築いてきた歴史と呼べるかもしれません?

 さて。他にも、謎を隠す技術。情報を提示する技術等。ミステリにはテクニックがふんだんに秘められています。
 それが大枠と言ってよいでしょう。
 と、ここで私たちはその気になってしまいます。ミステリには、そんな方程式があるんだから、それを覚えれば誰にでも書けるじゃん。
 私も以前は、そう思っていました。しかし、そこからが地獄です。特に論理的なミステリは、それも人(ミステリ好きな読者)を納得させる作品を書くことは、途方も無く難しいことに、私は気付きました。

 明日へ続く。

ご挨拶!

 皆さん、初めまして!薫葉豊輝(カオルハヒロキ)と申します。
 この度、司先生のご依頼を受けて、管理人を務めさせていただきます。

 ここで少し自己紹介をいたしますと、私は推理小説の新しい扉を開くことを目的に、「新しいダニット」を摸索する「ニュー・ダニット館」というサイトを行なっております。

 サイトの方では、書評等を中心に、推理界に一石を投じられるよう、奮闘しておりますが、進みは遅く。それでも推理界の底上げが出来ぬかと思い、日々、まい進しております!

 さて。サイトの方も更新中ですが、推理小説の執筆も手がけておりまして。主に短編を中心に、自身でも主宰する「ライター会議」という文芸サークルでは、毎月一作。テーマを出して、作品執筆を行なっております!

 その成果あってか、昨年。
 司先生のプロデュースされた「第1回ブログ・ミステリー短編賞」を戴けることとなりました!
 その時の喜びは、ようやく自分の努力が報われたという気持ちです。

 出版等。まだ見通しは立ってはいませんが。私自身。よき作品執筆(特に「面白い作品の執筆)を心がけておりますので。今後ともお見知りおきを!

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